西表島・山の道3~食料

晩飯を調達する

晩飯の食料は、二人で米が約1合、他は塩と醤油と泡盛が僅かくらいだったろう。
これはもう、お粥以外には考えられない。

「腹へって眠れないといけないので、9時頃食ってすぐ寝ようか」「チョー水っぽい粥にして、水腹にして寝よう」
水っぽい粥だけでは、きっと刑務所よりひどいだろうが、ソマリアや北朝鮮よりマシなのだろうか。

ところがどっこいワシには秘策があった フフフ。釣針とテグスを少し持ってきていた
ベトナム戦争映画でも、サバイバルナイフの柄の中から、釣り針やマッチが出てくるじゃないか。

「川で釣りをやってみよう。餌は昆虫、幼虫、ミミズ、蛙などだ。探そう」
早速近くの石をひっくり返したり、朽木をほじってみたりすると、かなりの確率で、小型のサソリのような生物が出てくる。しかも2種類。
ぼんやりしか知らないが、ひとつがヤエヤマサソリで、もうひとつがサソリモドキだと思われる。
毒はごく弱いか、無毒かじゃなかったろうか。
釣り餌には気味悪いので、パスする。


やっとこミミズを2~3匹見つけて大切に持ち帰ると、釣りやすい場所を求めて川を下り、良さそうなよどみで木の棒を竿に、釣りを始める。
しかし水が濁っているせいか、いっこうにアタリは無い。
川岸の木の枝に釣り糸を結び直して、ひとまず戻ろう。

今晩の焚火を作ることにする。
濡れたり湿った薪で焚火を作るのは、割合難しいのだが、我々はいつも上手く出来ている。
鉈を使って、割箸や鉛筆くらいの太さの薪を充分準備してから、種火を起し、あせらずに徐々に大きくすると、結構上手くいく。

焚火がうまく作れて、今晩の火の心配がなくなると、川にさっきの置き竿を見に行く。
すると何やら、草履サイズの魚が釣れている。クロダイのようなフナのようなタナゴのようなコノシロのような、見たことないやつだ。まず、川魚なのか海水魚なのかも分からない。
川下のよどみまで釣りに来ているので、ここは汽水域の可能性も強い。
美味そうなのが釣れて、ニンマリしながらウロコを落とし、ブツ切りにして、自慢げにキャンプまで持ちかえる。

粥を作る

8時過ぎから、遅い夕食を作り始める。
作戦どおり、1合の米に5合ほどの水を加えて、じっくり時間をかけて粥を作る。
水が減ると、また水を加える。常時、米の3倍は水が補給されている。
予定どおり米は膨れて割れ、糊になる直前まで炊き続ける。
魚も同様に、多量の醤油水で吸い物になる。
ジャブジャブの粥と吸い物で水腹になると、いっきに寝るつもりだが、夜間の寒さ対策に焚火を絶やすことはできないようだ。
しかたなく、交替で焚火の面倒を見ながら、山の長い夜を過ごすことにする。

寝たり起きたりの夜はようやく終わり、寝不足のまま薄暗い朝を迎えると、兎にも角にも川に水位を見に行く。
案の定、川の水位はグンと下がり、水量も半減して、川は落ち着きを取り戻した。

川を越えて山道にかかるが

さあ、やっと川越えだ。
もう朝飯はないので、残り物のカロリーになりそうなものを口にいれると、すぐに出発だ。

ザブザブと川を超えて、待望の対岸に渡る。
一晩待ってようやく渡った対岸の山道は、確かにはっきりしていたが、ほんのちょっと、そう100mくらい前進すると、小さくなって消滅した。

「これは!みんなここで引き返しているぞ!」
後戻りしながら周りを捜しても、道はない。 
だれしも前進を諦めて、船着き場に向かった模様だ。

我々は道が無くなったところから、木の枝をくぐったりまたいだりしながら、もう少し前進してみるが、遂にタコノキ(アダン)に完全に行く手をはばまれてしまう。
タコノキは四方に枝葉を伸ばすし、根が張り出して露出しており、完全に壁になって前方を塞いでしまう。

「仕方ない、まだ朝も早いから、道を作りながら先進しよう」
鉈を取り出すと、目の前に立ちはだかるタコノキに、人が潜れるくらいの小さな穴を空けては、リュックを手渡ししながら2~3mづつ前進する。

タコノキは葉の縁にトゲがあるので、体のあちこちに引っ掻き傷が出来る。トゲはバラやサボテンの様に硬くて鋭い訳ではなく、いわば柔らかいトゲなので、ブスっと刺さることはないが、チーッと引っかいてミミズ腫れになる。

川に続く支流に近づくと、マングローブが行く手をはばむ。
マングローブを形成するのは、オヒルギ、メヒルギ、ヤエヤマヒルギ、ヒルギモドキなどあるらしいが、見ても解らん。ひっくるめてマングローブの木だ。

枝葉をまたいだりくぐったり、交替で鉈で通路を作ったり、そのうち手のひらにまめが出来る。
そうこうして前進するも、どうも1時間で100か200m位しか進めない。
稲葉廃村跡まで2km、干立部落まで更に4km以上あるので、このままでは、食料無しでもう一泊ということになる。
これではいけない。

マングローブの中をゆく

「川っぷちを歩いてみようか?汽水域になっているはずだから引き潮の影響を受ける」
「干潮の時間は?」
ここ3~4日の行動で、だいたいの潮の時間は解っているし、1時間くらい前後しても構わない。
「下げ潮の途中だな」
次のマングローブ帯に出会ったら、水に沿って右手に進めば浦内川に出るので、干潮を利用して川沿いに歩ければ、自然と稲葉廃村方面に進むことが出来る。
5万分の1の地図から見当をつけると、稲葉からは陸に上がり、道路跡を歩ければ早い。

マングローブの水溜りを右に進むと、すぐに川に出た。木の幹を見ると、潮は下がっているのが判る。
問題は川ッぷちの水深だ。
そろそろ歩いてみると、だいたい太腿位の深さだ。
川は濁っているし、足はクルブシまでズブズブともぐる。
深い所では腰まで浸かるし、下半身が冷たくて気色悪い。
支流をまたぐ時はヘソの上まで濡れるので、リュックサックを頭の上に乗せて、濡れを防ぐ。

右手前方からブーンとエンジンの音がしてきた。
船外機を着けた細長い小船が、観光客を乗せて上流の船着き場に向かって行く。

「おいおい、俺達に気を遣ってゆっくり走れヨー、波立てるんじゃないぞー…」
観光船はちっとも気を遣ってくれる気配は無いし、船からは観光客が「まあ、あの人達はあそこで何してるんざましょ」といった様子で、全員からジーーと見つめられる。

我々は見世物になった気恥ずかしさから、仕方なく立ち止まっては小さく手を振ったりしてみる。フリ…、フリ。
船に遅れて小さな波が来る。ザザーン、パシャ-ン!

やっと上陸、宿に辿り着く

しばらくジャブジャブと川中を歩くと、左手に平らな地形の場所が見えて来る。この辺が稲葉廃村跡か。

川から上陸すると、予想通り道路跡が一本確認出来る。
しかしそれは、左右から木の枝が被さるように迫っており、数年で道路は飲み込まれて消されるのだろう、といった様相だ。
廃屋があるかと思っていたが、それらはすでに完全に潰れてジャングルに覆われており、僅かに角材やトタンが、チラホラ木の隙間から見える程度だ。
何年でこのような様相になるのだろうか、と考えたが、この地の気候からすると、さほど時間はかからないのではないだろうか。
道路から少しのところに蜜柑の木が見え、人間の生活跡を物語っている。小さく硬そうな実がいくつか着いている。これはタンカンだろうか、レモンだろうか。
腹も減っているので、一も二も無くかじってみるが、酸っぱくて不味いだけだった。

ハラペコで歩いて、夕刻前に干立の部落にようやく辿り着く。
手頃な民宿をと思って探すが、何軒もある訳ではない。
部落の中に干立荘だったか、ありきたりな民宿を見つけて戸を叩く。

「ハイハイ」オバアが出てきた。
「今日 泊まれますか?」
オバア、我々を見るなり
「アガエー、あんた達、この天気に山を超えてきたかー?」 
「突き当りが風呂場だからヨー、まっすぐ風呂に入りなさいネー」
確かに我々はビチャビチャのドロドロだったので、まあーっすぐに風呂に行く。洗濯を済ませ煙草を一服すると、その後は定番のオリオンビールに泡盛でくつろぐ、至福の時が来る。

一晩疲れを取ると、翌日は船浦まで歩き、大原行きの小船に乗り、豊原部落は南風見莊に帰ることする。
西表もひとまずは終わりだ。浜ちゃんとはいい行動が出来た。

数日後、おれは石垣発の台湾 基龍港行きの船に乗りこんでいた。明後日の朝には、台湾だー、台湾だ-。

山の道3/3