西表島・海の道2~棺ロッジ

民宿を後に鹿川湾へ

翌日朝早く、二人は民宿を後にした。未舗装路を小一時間も歩くと南風見田の浜に出る。
そこから本格的に海岸歩きが始まる。地図上で13キロの距離だ。
潮は満ちている、まず砂浜を歩く。
南風見の浜、次ぎがボーラ浜、ナイヌ浜と続き、先にはその名の通り大浜(ウフハマ)がある。
机くらいの岩を登ったり降りたり、跳んだり。
道無き道を、はーはー、ぐいぐい、と歩く。

オレはふいに立ち止まった。
「だめだ、足の指の皮がむけた」
縁の下から拾い上げた穴あきのバスケットシューズは、オレには1㎝小さかった。が、それしかなかった。
ずっと両足の指を内側に曲げて履いていたが、ついに爪の生え際から上が5~6箇所赤むけになった。

「砂浜と丸っこい砂岩の岩場だから靴下で歩こう」オレは靴を脱ぐと歩き始めた。
……1時間…靴下で歩いたオレの足は、パンパンに腫れて痛み出していた。
「靴を履こう」
オレは腫れた足を無理やり靴に押し込むと、歩き始める…指先が擦れる…

「足が痛い、靴を脱ごう」…歩く…足が腫れる…
「足が痛い、靴を履こう」…歩く……
以後これはずっと繰り返される。

海中を歩く

海中を歩く
海中を歩く

干潮の時間だった。
「だいぶん潮が下がった、海の中を歩こう」
海の中を何時間も歩くのは始めてだ。
リーフ(礁縁)は近いが、数百メートル沖合にあり、歩くのは内側のラグーン(礁湖)だし、干潮なので波はほとんど来ない。
ラグーン内はたいがい平らな石灰岩質で、歩きにくいことは無い。
時々出てくる穴ぼこや深みには、珊瑚や小魚が見られる。
膝上くらいまでは平気で歩けるが、やはり速度が遅い。ふくらはぎ位までが、効率が良いかもしれない。
目標を定めると、深みを避けながらも一直線に進む。
ちょうど幼児用のプールを何キロも歩いているようだ。
腫れた足には、海水がシップ代わりで気持ち良い…と思うのもつかの間。
ありがたい事に靴下を透して進入した細砂と海水で、赤むけにヤスリが掛かる。

やがて潮も満ち始めて深くなり、海から上がると黒っぽい岩場を歩く。
岩場も終わり、垂直に近い壁が現れる。壁の足元は波で洗われている。
蟹の横歩きのように垂直の岩場を、十メートル以上トラバースする。
脚下は水深3mの海だ。忍者ならまさに磯蟹の術! 
H「俺達、なかなかやるじゃないか」
オレ「ショウ小杉、かかって来い!」

先を急ごう・・・・「アレッ、もう行けない!!」
「ん?ほんとに??」
「うん、行けない」
「ほんとだ」
「指が疲れる」
「磯蟹の術で戻ろう」
……スタコラ逃げてきた。

二人、海を眺めつつ相談する
「どうする?泳ぐ?」
「リュック抱いて泳げないよ。荷物も食料もだめになるぜ」
「人間もだめになって鮫の餌だな」
「少しバックして山越えのルートを考えよう」
「バックはきついなー」
「他に何か方法が?」
「そうだな!!」
こんな按配で、不本意ながらかなりの距離バックする。

…オレ♪ジーー♪
H♪ジーー♪…山の斜面を眺める音…
「ここどうだろう」
「ススキの株を手がかりに上までのぼるしかないな」
「他はもっと急峻で危険そうだ」
「行こう」

山の斜面に取りつく

オレとHは山に取りついた。
見上げるような急斜面を、ススキのらしき草の根元を手がかり足がかりにして、斜面をはいずり登る。
蛙が壁に張りついてペタペタと登る様だ。男たちは蛙登りの術も会得していった。ケロケロ。

口には出さないがオレはふと考えた(すすきと一緒にハブでも掴むとコリャえらい事になるなー。)
(グニュ、ガブッ、うわー、やられたー)あーーーー、ずるずる…どすーん……!
こういう光景が脳内に浮かぶ。

ピーポーピーポーはここには来ないから、明日ぐらいになって救助が来る。
陸路隊(警察と消防と青年団)と小船隊(警察と地元漁師)なんて組み合わせはどうだろう。

小船隊トランシーバー「おい、感度あるか。海からは場所が分かりにくいんじゃ。目印の旗でも振ってくれ。どうぞ」
陸路隊トランシーバー「あい、聞こえるよ。事故者は既に死亡しとる。急がんでもええ。どうぞ」
小船隊「ほな昼飯でも食ってから取りかかるか。どうぞ」
陸路隊「そうだな。了解」

沖縄テレビ「ニュースをお伝えします。昨日、無職の青年が西表島南部の崖よりハブに噛まれて転落死し……」

オレ(くじけないで登ろう!)ファイトー、一発ーー!

蛙になったオレ達は、尾根に辿り着いた。
「尾根は歩きにくそうだ。谷に沿って下ろう。谷の出口が滝になってないかな」
森の中は予想以上に歩きやすい。ずっと下るとアダンの木ばかりになった。
アダンは海岸線にしか生えていないので海は近い。アダンの隙間から海辺を覗き込む。
「おっ、すげえいい岩場に出たぞ」
「リーフも切れてるぞ」
「降りよう」
アダンの葉っぱのトゲで引っかかれて痛いが、何とかアダンの崖を降りる。
そこは海に向かって40~50m平らな岩が張り出しており、釣り足場としてはすこぶる良い。
先端と先端左はリーフが切れてドン深の海が見える。
右手2~3キロに目指す鹿川湾の砂浜が見えるが、既に潮は満ちており夕刻が近い、これ以上の前進は難しい。
ここで一泊と釣りをし、あとは明日動くが良かろう。

「水は?」
「ある。小さな崖からしたたり落ちていた」
「寝るとこは?」
「あそこの岩のくぼみは?」
垂直の崖の根元が亀裂に沿って横に細長く抜け落ちている。
ちょうど二人分の棺おけが横に並んですっぽり入るくらいのコの字形の窪みが、まるで棚をくりぬいた様に開口している。
床はかろうじてドライを保っており、少しぐらいの雨も防げそうだ。
「ココしか無いな」
オレ達はテントを持っていなかった。

山中で夜を明かす

さて、お楽しみの時間だ…有り合わせの小物道具で釣り糸を垂れる。
……釣れない。

餌は何を使ったか記憶に無い。腐敗するので、何も持たずに出かけたのだ。
現地で牡蠣や巻き貝やヤドカリを採取し、餌にする。
小魚釣ったら切り身にして餌にする。その餌でまた釣って増殖する作戦だったか。
試しで食料の魚肉ソーセージくらい使ったかもしれない。

餌が悪い+腕も悪い+潮が悪い=釣れない…の式は、子供でも解ける。

夜になった。
懐中電灯の電池も限りがあるし、寝るしかないので棺おけロッジで就寝の準備。
近くでヤシガニを2匹見つけ捕らえる。これは素晴らしく大きい。
どちらも石垣市の土産物屋に並んでいた剥製の最大級のサイズだ。剥製で3~4万はする。
重量はどのくらいなのか?
「どうする、食うか?持って帰るか?」俺達は躊躇した。
二人はあらゆる民宿で、フグ・ツムギハゼ・ヤシガニの絵にどくろと赤罰点のマークが付いた、保険所の警告ポスターを目にしていた。
オレは最近、魚貝類の毒に関するシガテラ中毒の本を一冊読み通している。

H「茹でて赤くなるのは食える、青くなるのは毒、と聞いたが」
オレ「当てにならない」
二人「この辺境の地で、二人がシガテラ中毒に陥ったらどうなるか!…うむ、止めたがいいな」
「では持って帰るか?」
「どうやって?」
「はさみをがんじがらめにしてリュックの上に縛って運ぶ!」
そう、ヤシガニの強力な鋏は人の指などポキポキと簡単に押し潰してしまう。
二人「重過ぎて運ぶ気がしない!……逃がそう」
巨大なヤシガニとさようならをすることになった。
二人はついでとばかりに、割り箸を挟ませてみる。
バリッ、ベキッ、切れないペンチで潰した様に、恐ろしげにひしゃげる。

棺ロッジの寝心地は

棺おけロッジの床に、ビニールシートを敷いて、毛布を被って寝る。開放部分は仰向けになって左側一ヶ所だ。
目の前30㎝は岩なので、圧迫感がある。
今、地震が来たら…これは考えない方がいいな。

Hが話し出す。「すこし前まで南風見莊に泊まっていて、波照間に旅立った二人のこと、どう思う?」
オレ「なんのこっちゃ?」
H「あの二人は同性愛じゃないかと思う。先に旅立った男を追いかけて後の男が出発した。後の男は寺坊主のはしくれだ」
オレ「気味悪いな…」  
オレは過去の旅行中、東京大久保で同性愛者に迷惑を被った時のことを思い出していた。

ウトウト、スースーと1時間も寝ていると、何やら不快で目が覚める。
按配の悪いことに、ロッジは10度くらいの勾配で足元が低く、頭が高い構造になっている。
すっかり体がずり下がって、枕にしていた衣類から頭はずり落ち、背中ははみ出し、股のあたりをズボンがキュッと締め付け、パンツは肛門附近を紐のようになって攻めてくる。
気持ちいいー、…違う、気持ちわりー、ずり上がらなくては。

不用意に体を起こすと、岩で出来た天井で頭ゴチンで目から星が飛ぶ破目になる。
肩・尻・踵など、体の背面をフルに使ってモジョモジョとずり上がる。

オレ達は疲れていたし、棺おけロッジ内の動きは余計だった。しかし、モジョモジョ、ゴソゴソ、このずり上がり作業は一晩続けられる。

次へ | 海の道2/4