宮古島・労働篇3~害虫

農協での作業が始まる

出荷前のかぼちゃ
出荷前のかぼちゃ

最初の仕事内容は「赤栗カボチャ」の出荷箱作り。膨大な数の段ボール箱を連日作り続けた。
「赤皮栗カボチャ」…あまり馴染みが無かった美しいオレンジ色のカボチャであるが、ホクホクしてとても美味しいとのこと。
他には「えびすカボチャ」も入荷するが、これも高級カボチャとのこと。
そもそも当時の我らは、「カボチャ」と言えば十把ひとからげで、その種類など考えるべくも無く、ああカボチャかと食っていただけで、赤皮栗カボチャやえびすカボチャなど知る筈もなかった。

そしてその後、仕事は農家から多量に持ち込まれるカボチャを、10㎏に計量しての箱詰めも行うことになる。
カボチャは検査台の上で職員によりゴロゴロと転がされて、品質や病害虫の有無を点検され、傷カボチャとウリミバエに汚染されたものは、選別されてはねられる。

後者が特に重要で、これは本土への出荷前に、植物検疫官による厳正な検査が待っている。
出荷前になると平良市から検疫官が来ては、きちんと積み上げられた数百箱の中から、規定の数パーセントの箱をランダムに指定して、検査台にカボチャを再度広げて検査する。

中から1個でもウリミバエが産卵した汚染カボチャが見つかると、全量検査に切り替えられ、数百箱のカボチャの全てを台の上に広げての、再検査となる。
一度だけ一個のウリミバエ汚染カボチャが見つかって、全量再検査に何時間も費やして大変なことになった。

カボチャの箱作り作業(1976年) 同・2014年 併設の理容室
 カボチャの箱作り作業(1976年) 同・2014年   併設の理容室 

週に1~2度、植物検疫検査に訪れる50代ぐらいの検疫官は、いつも気さくに我らに話しかけて来る。
ある時、学生に対して「京都の大学生なのか、何を専攻している」
学生「えへへ…インドネシア語学科です…」
検疫官「んッ?…では #########」
学生キョトンとして「……?」
検疫官「何だ、解らないのか。ではこれは?♭♭♭♭♭♭♭♭・・」
学生「…あー、それは何とか解ります…えへへ!」
検疫官「何だ、ほとんど解っていないじゃないか。しっかりしなさい。僕はジャカルタには少し滞在したことがあるけど、君は勉強していないねー」
ああ無情、京都の学生や面目無しである。

ウリミバエ被害とは

「ウリミバエ」それはここ宮古で初めて聞く昆虫名である。
だがそれは、沖縄全県の農業を阻害する大害虫なのだという。

ハエの仲間であるが、姿は天敵に対しての擬態により、蜂によく似ている。産卵された果実はすぐにウジに食い荒らされて人間の食用にはならなくなるし、単にそれだけではなく汚染地域からのこれら作物は厳しい移動制限の対象となるので、農業にとっての経済的打撃は、その食害ぶんどころではない。

また九州や本州にひとたびミバエの侵入を許すと、離島より遥かに広大な本土では、農作物は壊滅的な被害を受ける。
本土に拡散すればミバエ駆除は困難を極めるか、または駆除不可能かもしれない。
何としても沖縄決戦で勝利しなければならない。
ここ宮古でも、民宿のおじさんから、そのうちウリミバエ駆除事業が始まるとの話を聞いた。
少し話は固いが、ウリミバエの害や駆除法について、この場を借りて紹介しておこう。

ウリミバエとは

ニガウリ、スイカ、キュウリなどのウリ類だけでなく、トマト、ピーマンなどの多くの果菜類やパパイヤ、マンゴウなどの果実を加害するハエで、台湾、東南アジア、ミクロネシアの諸国、ハワイなどに分布しています。体長は8mmほどです。
ウリミバエの分布図 ウリミバエの成虫
ウリミバエの蛹(内部)
ウリミバエは成虫になって10日ほどたつと交尾し、メスは寄主果実に産卵を始めます。腹の先にある鋭い産卵管を果実に突き刺し、果実の中に卵を産みつけます。栽培植物のほか野生植物の果実など、うり類を中心に世界でおよそ100種類に及ぶ果実が寄主として知られています。成虫は1~2か月以上生き続け、オス成虫には交尾を始める数日前からキュウルアという香料に誘引される性質があります。
1匹のメスは1個の果実に1回で10以上の卵を産み、一生の間に1,000個以上の卵を産むこともあります。卵は白く、長さ1mmで、果実に産卵されて1~2日後にウジ(幼虫)になります。幼虫は果肉を食べるので、被害を受けた果実は人間の食用にならなくなります。 幼虫は2回脱皮した後、果実から脱出して地面に落ち、土中に浅く潜って俵型の褐色のサナギになります。やがてサナギからは新しい成虫が羽化するのです。 このようにして、ウリミバエは卵から次の世代の卵を産み始めるまでに、沖縄の夏では1か月かかります。冬ではもっと長くなるので、沖縄では1年間に約8世代を繰り返します。
ウリミバエの生活史

ウリミバエ根絶計画

ウリミバエは大正8年(1919年)に八重山群島で発見されて以来、下図のように分布域を拡大してきました。ウリミバエの被害は農作物を直接加害することだけでなく、このハエの発生地域である沖縄県から未発生地域である本土への寄主植物(ウリ類など)の移動が法律で禁止または制限されているという、目に見えない大きな被害があります。
これを解決するためには、農作物の被害をいかに減らすのではなく、このハエを1匹残らず根絶することが必要となります。ところが農薬散布による方法では根絶することが不可能ですので、「不妊虫放飼法」という手法が用いられました。沖縄県では昭和47年(1972年)10月より、久米島において本種の根絶実験事業を開始し、昭和53年(1978年)9月に根絶に成功しました。
この成果をふまえて、沖縄県全域でのウリミバエ根絶防除に向けての施設の建設が、昭和55年度(1980年度)から開始され、昭和57年度(1982年度)には大量増殖施設(飼育設備週3千万頭規模)が完成し、不妊化施設が昭和58年度(1983年度)に完成しました。
そこで昭和59年(1984年)8月からは、新しい放飼法(冷却放飼)による不妊虫放飼が、宮古群島において開始されました。
一方、沖縄群島防除に向けて昭和59年度(1984年度)から増殖施設の飼育機械等設備の増設工事を開始し、昭和61年度(1986年度)には週1億頭規模の施設が完成しました。そこで昭和61年(1986年)11月から沖縄群島においても不妊虫放飼を開始しました。
なお、宮古群島では昭和62年(1987年)11月、沖縄群島では平成2年(1990年)11月、八重山郡島では平成5年(1993年)10月にそれぞれ根絶を達成し、沖縄県からウリミバエを一掃しました。
ウリミバエの分布域の拡大と防除 

不妊虫放飼法の原理-虫を放して虫を滅ぼす不妊虫放飼法の原理とは-

ウリミバ工を根絶するためには「不妊虫放飼法」という、自然の繁殖本能を利用した技術を用います。まず人工的にウリミバ工を飼育・増殖して、大量のサナギを生産します。
このサナギに放射性物質コバルト60から出るガンマ線を照射することで、オス成虫の精巣のみに異常を起こさせます(不妊化)。
メス成虫は卵巣を破壊します。こうして作られた不妊虫を野生虫より多数野外に放つと、野生虫のメスは不妊虫のオスと交尾し、野生虫のオスとメス間で交尾する機会が減少します。また不妊虫と交尾した野生虫が産む卵はふ化しないので、次世代は育ちません。
さらに、大量の不妊虫を継続的に繰り返し放ち続けると、野生虫間で交尾する機会はますます減少し、正常に繁殖できる子孫は次第に減り、最終的には根絶に至ります。
根絶はトラップに成虫が誘殺されないこと、また、野外から採集した寄主果実に寄生がないことをもって確認します。

不妊虫放飼法 

沖縄県病害虫防除技術センター HPより)

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