コンピューターに払った犠牲3

暗黒時代の落し子

と、かく言う私自身も、人生の中で暗黒の十数年間というものがある。20代全部と30代の大半が、どこで何をしていたか分からないという、履歴書を誤魔化している、怪しげな人物である。
周囲の人間でも、親兄弟でも、私の全体像を知っている人間はいない。結婚の回数は、だいぶ変則的な数え方になる。
一人だけ付き合いの長い友人がいるが、彼は「キミの後を追おうと思っても、君が連絡しようと思わない限り、絶対に無理だね。なにしろ、これだけ未知の世界にポン!と飛び移ってしまうんじゃあ…」と言ってくれる。いちおう誉め言葉のようなものと受け取ってはいるのだが(笑)

これだけ変身ぶりを知られていると気楽なので、彼とは良い友人である。しかし、私が死ぬまでに、私の履歴を全部把握できる人が現れる可能性はたぶん少ない。だいたい、本人からして忘れかかっている。

なんだか、人をからかって面白がっているようだが、人生において、不明瞭な、履歴に書けない暗黒の時代を持っている人間というのは、それなりの強さがあるし、一筋縄ではいかない。これも、一種の財産ではないだろうか。

松本清張の「砂の器」のようでも困るが、別にどういう想像をして貰ってもご自由である。しかし、この時代がなかったら、私は今の仕事には入っていないだろうと、確実に思う。
別にドロップアウト人間なのを自慢する訳ではないのだが、何だかコンピュータの天才達の経歴があまりに奇妙なので、つい自分の身と引き比べてしまった。

こういった、私独特の経歴と事情から、非常に多くの職業を転々としてきたが、宗教とか占い関係を手がけるようになってから、少し事情が違ってきた。この場所が居場所かな、という気がしてきた、と言うよりも、逃げてはいけない場所へついに来てしまった、という感覚である。
好きな仕事と向いている仕事は違うと思うが、シナリオライター志望だったものが、なんで占いや宗教の方に行ってしまうのか、前世からの定めと思うか。

長年、こういう変わった世界にいると、何度か危機もあったし、生命の危険もあったが、何となくコンピュータを触りだしてから、風向きが変わってきたような気がするのは確かだ。それは、便利ツールを持った、という以上のもので、前述の暗黒部分のことをつい考えてしまう。
私はコンピュータが大好きだし、コンピュータも私を裏切らない。90年代のWindows機で、全くただの一度も、クラッシュやフリーズを経験したことが無い、と言ったら、だいたい驚かれる。現在まででかなりの台数を使っているが、まだ1台も壊した事がなく、買い換えたり組み替えたりして、適度に更新している。

因縁と推移

私は何につけても、ものごとには、最初にかかわった時の成り行きとか因縁のようなものが、ほぼ未来を決定づけると思っている。
だから、男女問題でも仕事でも他のことでも、一般的にいって、最初からスムーズにいかずにいろいろと障害が多い場合は、その未来も、やはり障害が多いだろう。
これは、出会いの縁のようなものが、底流に流れているからである。
縁にも順縁と逆縁があり、惹かれあう逆縁もある。順縁で惹かれるのならば楽だが、逆縁で縁が深いのでは苦労が多い。これをどうするかは、非常に難しい。

人生では頑張りも大切だが、ある時にはあっさり見切りをつけてしまうのも一つのテだ。
マイクロソフトにしても成功企業のようでいて、ずいぶん多くのものを切り捨てているのは、一般には忘れがちなようだ。だいぶ古い話だが、音声認識コンピュータやWEBティービーも、かなりの投資をしたものだろうが、切り捨てという結果になっている。

企業の場合は、このあたりの判断は専門家や複数の人がするし、経済性第一だから、ドライな決定になるだろう。しかし、個人が判断する場合は勘に頼ったり、「こうしなければ困るから」という、都合や執着が絡むので、ことは面倒になる。
男女問題になるともっともっと面倒になるのは、いたし方ないことである。

男女問題における縁は分かりやすいだろうが、仕事にも縁、因縁は存在する。それは人と人との関わりから生ずることもあるが、業界全体との関わりもある。
向き不向きや能力とは別の次元の、縁がある。因縁が悪い時には、はっきり言って見切ったほうがいい。しかし、努力してみた上でのことである。

逆説的な感じだが、見切りというのは、努力の大切さを知っている人ほど、よく理解できるのではないだろうか。私も、長年いろんなことをしては、ご破算にしてきた過去がある為に、この辺りの風向きが読めるのである。

人生において、経済性や好き嫌いも大切だが、もっとずっと大切なのは「命」である。これは「めい」と読み、「運命=うんめい」の「めい」である。「いのち」とは読まない。
この場合の「命=めい」とは「可能性」とも考えられるが、「ノルマ」とも言い換えることができる。

その人の人生に一定の幸不幸のノルマがあるとすると、早く不幸のノルマを引き受けてしまった方が、物事もよく見えようというものである。こういう気構えが出来ると「命」が見えてくるし、重ねた失敗が、すべて財産となって生きかえってくる。

このサイトの作者(タオ)にとっては、コンピュータというのは
人生のいろんなノルマをこなした後に手に入れたツールだし、タイミング的に順縁のもの、という気がして仕方がないのである。

通信講座を始めた頃、生徒の中に妙におめでたが続いた。自身にコンピュータに関する関心を最初に植え付けたのも、子供だった。子供というのは未来である。
子供を生んだ時には、逆風の中で肉親に支えられながら凌いだものだったが、現在、コンピュータ界の陽の部分、陰の部分、その残してきた傷跡を知りながら仕事に活用できるのも、勝手を通して生んだ子供のお陰である。

子供にとっての親も大切だが、親が子供から貰うものも多い。
これは無償の愛ゆえである。神詣でにも似ている。頼まないから、願わないから、無償の行為だから叶うのである。頭の良い子を生んで、年取ったら面倒見てもらおう、と具体的な見返りを求めて計画出産したら、それは親の無償の愛ではないだろう。

コンピュータだって因縁モノだから、「高かったんだから電源入れただけで便利に何でもできて当然」と見返りを求めたら、決してご機嫌麗しくはないだろう。甚だ勝手な話なのだが、モノにも因縁や感情があると考えると、普段使うコンピュータに愛着を持つことは、決してマイナスではない筈だ。

昔ばなしだけど

1980年代ぐらいのマイコンというと、ポータブルタイプがしばらく前まで、うちの押入れの中にゴロゴロしていた。スペックは言わずもがなとしても、とにかく凄まじい音がした。
とてもアパートの部屋で深夜にいじれるようなシロモノではなかったので、息子は友達の家の会社の倉庫を借りて閉じこもってしまい、あまり家には帰って来なかった。

「何で家でやらないの」と言うと、「お母さん、とても寝てられないよ。隣の家から文句が来るし、お母さんまで体の具合が悪くなるから」と、中学生ながら気を使っていたらしい。もちろんDOS機である。

少ししてからアップルコンピュータができたが、「医者と成功した漫画家しか買えない」と言われたMACを、子供のおもちゃに買い与える余裕はもちろんなかった。
真冬の深夜にどこかの倉庫で、凍える指先で友達のお下がりの古いマイコンをいじっている息子を思っては、コンピュータにいろんな意味で息子を取られる日を恐れて、心の底で怯えたものだ。

息子は小学校2年の時にアマチュア無線局の免許を取ったので、その時には、将来は航空管制官になるなどと言っていた。アマチュア無線少年がパソコン少年になってしまうのは、時代の趨勢だったのだろう。

しかし、わずかの期間に、あの大きな振動音を上げながらテレビが映らなくなるほどの波動音を発散していたパソコンは、スマートな液晶のノートに姿を変え、地球の裏側で生活している人まで「タオさん、教えて下さい」と私の周りに人を呼ぶツールになってしまった。

私がアナログの極であろう、風水や神霊的な世界に深入りしてしまった間接的なきっかけが、デジタルの雄のコンピュータであるならば、その風水や神霊世界を表現し、実現させているツールもコンピューター。これは何かの因縁というか、自然の成り行きなのかもしれない。

だから、未だに「よく分からない。なぜ家電並にスイッチを入れただけで使えるようにならないんだ」と言われるパソコンだが、私にはこれ以上、贅沢を言う気にはなれないのである。このスマートなパソコンが出来るまでの、死屍累々たる業界のことを考えると、いたたまれない気持ちになるのである。

無骨な、機械らしいパソコンが好きだし、DOSだろうがMACだろうが、「使いにくい、故障が多い、高い」と文句を言う気にもなれないのである。
あの冬の夜の倉庫や、生きながら地獄の思いをした大勢の技術者達のことを考えると、とてもとても、そんな心無い言葉を吐く気には、到底なれないのである。

コンピューターに払った犠牲3/3「2000年前後に記述」