コンピューターに払った犠牲

子供の将来

あの時期、正直いって息子はコンピュータ技術者にだけはしたくないと思っていた。しかし、こちらの意思に反して高校出てすぐに、ゲームソフトの開発で勝手に就職してしまい、現在はもうオジサンなので通信ソフトの開発などしているようだが、やっぱりカエルの子はカエルですかね…。

家族にエンジニアが多いとあって、近しい感じがするせいもあるのだが、それ以外に、コンピュータに関しては、妙な感覚を覚えることがある。

草分け達のキャラクターは

ここに「パーソナルコンピュータを創ってきた人々」(ソフトバンク)という本がある。
古今東西のコンピュータ草創期の開発者達の話だが、この本をパラパラとめくっていると、何だかタイムスリップして別の空間に入って行ってしまうような気がするのである。

どういうことかと言うと、別に「昔のコンピュータは大変だったのね~」とか「コンピュータを発明した人たちって凄いわね~」とか、「えっ、この時代の最高性能マシンがこのスペック?!」というようなことではない。
改めて、コンピュータとは奇妙な「生き物」とか「因縁のかたまり」のような気がしてくるのである。

この本の原稿はもともと「パソコン快人伝」という連載だったそうだが、この本から垣間見るコンピュータの天才達の肖像は、非常に興味深い。
多くは恵まれない環境に育ち、高等教育からは落ちこぼれた、やや風変わりな、社会のアウトサイダー達の姿である。

何の世界でも、天才にはそういう傾向があるのかもしれないが、ことコンピュータに関しては科学の粋、無機質の代表のようなイメージを持ちやすく、この本を読むと実態とのズレが、少し極端なほど大きくなってくる感じがする。
コンピュータじたいがヒッピー文化(死語?)の落し子と言う人もあるのだが、草創期のデジタル巨人達は、必ずその経歴の中に、どこで何をしていたか分からない、暗黒の時代を持っているのである。

変人だらけ

ビル・ゲイツからして、大学をドロップアウトしてコンピュータ【なんかに】走った人だし、スティーブ・ジョブズも同類だ。
彼はインドを放浪したり禅に凝ったりして、あのアップル教を築くカリスマ性を養っている。
オラクルのラリー・エリソンに至っては、よくこんな人物のやることに乗る人間がいる、と思うぐらいである。

ラリー・エリソンの変人ぶりは有名だから、皆さんよくご存知だろうが、欧米諸国の知識人にありがちな日本贔屓で、自宅にアメリカ人が(勝手に)想像する、山紫水明な日本庭園を作って錦鯉を飼っているそうだ。(錦鯉を澄んだ水で飼ったらすぐ死んじゃうっつーのに…)

パソコンのデスクトップの画像や絵文字フォントなどに、非常に個人的な好みが投影されているような気がするのも、この辺りに原因がありそうだ。

もう一つのタイプは、東洋趣味とは反対に、絵に描いたようなハイテク住宅を建ててしまうタイプ。
頭で想像した通りの、近代的なデジタル管理住宅を建ててしまったお陰で、テレビをつけようとしただけで、家中の電気製品が作動して凄い騒ぎになったり、トイレに入って手を洗おうとしただけで何時間もトイレに閉じ込められてしまったり。
このハイテク住宅のシステム管理者がすぐに嫌気がさして、あっという間に止めてしまうので、人件費だけで膨大な額になってしまったりと…。

スティーブ・ジョブズあたりが、ジーンズと山小屋風の別荘が似合いそうなのに対して、こっちもジーンズとは対極のキチガイっぷり、カリスマぶりを発揮しなければできない行動だろうが、あんがい社長自ら実験台になるという、雄々しい行為なのだろうか…?

どちらにしても、変わり者が多い。名門校を卒業してコンピュータ業界に入るのは、おおむね経営や総務といった業務で入るので、コンピュータ技術じたいに直接関わるわけではない。

コンピュータじたいに関わっている人達は、絶対に変人ばっかりの筈だ。(断定してしまおう)
…もっともこれは草創期の話なので、現在のコンピュータ業界は、それなりに整った環境で英才教育を受けられる人の方が、開発の能率も良いのは当たり前だ。

しかし何の世界でも、草創期の傾向というのは、えてしてついて回るものだ。
非凡な仕事をこなす人というのは、能力はアンバランスなことが多いので、私は天才=欠陥人間と、最初から決めてかかっている。人間的に未熟な部分があっても、天才の条件の一つとして、気にしないぐらいがいいと思う。

デッドゾーンの存在

こういう人達が作ったコンピュータというモノは、それじたいにやはりデッドゾーンの部分があるのか、誰しもが必ず遭遇する、パソコンの気紛れ。
あるいはどうしても動かないので、「動いて。ねえ、お願い。愛してる。あなたは神様です」と拝んだら、とたんに機嫌が直ったとかいう話。。。

パソコンを使うのが上手な人は、パソコンの気持ちが分かると言うし、自分のパソコンに名前をつけたり、ナダメすかしながら動かしたり。

私の一代目のgateway2000のノートPCも、デスクトップをオリーブ色にすると一度もフリーズしたことがないのに、パープルにすると必ずフリーズするという性格がある。
何度もやってみたし、あんまり不審だから友達と一緒に検証してみたので、その特異性は確認済み。なにか物理的原因があるのか、それともコイツにも好みがあるということだろうか?
「赤いおべべだとやる気が出るけど、白いおべべで学校行くのは嫌」というわけだろうか?
ま、マイクロソフトの人は「そんな馬鹿な」と仰るだろうが、色によってメモリの消費量が違うのか、何か別の理由があるのかないのか、ま、このさい深く追求するのは止めておこう。

こやつに関してはもう諦めてしまったので、寿命が来るまで活躍して、画面はオリーブ色のままで息をひきとっていただこと思う。
しかし、日本gateway2000が先に息を引き取ってしまったのは、想定外だった。

よくパソコン雑誌に登場する俳優が、何かに書いていた。
「一番最初のマシンはMACだったけど、友達のヒッピーに貰ったこのマシンは、消しても消しても画面に十字架がスーッと浮かび上がって来るようになり、あんまり不気味なので捨ててしまった」

この謎解きを、ぜひ誰か探偵にお願いしたかった。かなり昔のマシンの話なので、そんなプログラムが仕込めたかどうかは疑問なのだが、この俳優(大鶴義丹)は、その後、この謎は解明できたのだろうか?
開発者と同じように、コンピュータというシロモノは、とっても怪しげで超個性的で、一筋縄ではいかないモノ……

……と、いうことに、しておこうではありませんか。
その方が楽しいじゃないですか。だって、何でもきっちり予定どおりにデジタルに無機質に没個性的なのでは、辻褄が合わないではないですか。

「まるでコンピュータみたいに」という表現は、タオの周りでは何となく怪しげで未知の部分を秘めた、一筋縄ではいかない、ということにしておきたいじゃないですかァ。

コンピュータシステムにも、ちょっと見には分からない、デッド・ゾーン、暗黒の部分があるのである。人間が作ったものだからバグがあるのは当然のことだ。それはコンピュータが持っている不具合、バグであると同時に、人間が持ち込んだ因縁のようなもの、誰にも分からない未知の世界の一部なのかもしれないし、有機物である人間と関係がないとは、言い切れないのである。

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