インドの風と水1

とうとう、行く羽目に

90年代のことだからもうだいぶ前になるが、何となくインド旅行の機会があって、デリー、ジャイプル、ウダイプルと、ゴールデントライアングルに一週間ほど行く機会があった。
インド旅行というとなんだか、放浪しながら真の人生に目覚めるような旅行をしなければ、申し開きが立たないみたいだが、何のことはない、普通の観光旅行である。

本当は私は、超がつく出無精で、特に一番苦手なのが旅行である。旅行に行く時間とお金があったら、小説とウイスキーボトル持って、日がな一日、布団に潜り込んでいる方が幸せなのだが、今回は人数の都合とかで説き伏せられて、やっと重いお尻を上げた。
もちろん若い人のような旅はできないので、もちろん旅行社のパックで、もちろんお城巡りの大名旅行で、ほんと面倒臭いったらこの上ないのである。

でも、一週間も家を留守にすると、熱帯魚の何匹かは共食いで姿を消すだろうし、息子は友達を集めてゲーム大会だろうし、稽古に行けないと体はナマルだろうし、考えただけで嫌になってしまう。私は、自分のしたいことをするリズムが崩れるのが、大嫌いなのだ。
旅行というのは基本的に、移動と食事の繰り返ししか無くて、自分のやりたいことが何も出来ない。私はやりたいことが多いのだ。
もちろん、百聞は一見に如かずという通り、現地で見ないと分からないことというのは余りにも大きく、実際に見ることでガラッと変わることが多いのは承知している。
それでも、私の中で、旅行の優先順位は、特に観光旅行の順位は、ほとんど最下位に近いと行ってもいい。一方、目的があれば一番どこにでも行くのも、私なのだが。

冒険小説好きなので、頭の中ではじつに波乱万丈な精神生活を送っており、この頭の中身に比べたら、どんな現実も退屈でつまらないものと言ってもいい。それに、観光旅行で表面的に非日常的な場所を通り過ぎるよりも、自分の体を使って剣の技の一本も覚えるほうが好きなのだ。たまに義理で団体旅行にでも行こうものなら、ずっとホテルで本ばかり読んでいるという、面白くない人なのである。

特にインドに関しては、いろんな人が濃いものを書いているし、私が旅行記書いたら「エッ、そんなことも知らないの?」と呆れられるのがセキの山だ。
私よりも旅馴れているほとんどの人には、失敗談以外は面白くも何ともないだろうから、あえて旅行記らしい旅行記は避ける。

ただ今回、印象に残ったのは、「水」である。
旅をしたり居所が変わることを「水が変わる」というが、本当にそうだな、と身をもって感じたので、そのことを書いてみたい。
「風」のほうは人間の気というか、雰囲気、もっといえば因縁みたいなものだ。生活臭みたいなものが、その地独特の気を醸しだしている。

こんな猛者も

旅慣れない者のスッタモンダ…というほどでもなく、旅行社も段取りがよくて、すぐに準備は出来た。

すぐ下の弟が、昔2年ほどインドと東南アジア放浪の旅をした時のことを知っているので、こんな旅行は寒々しい限りで、ぜんぜんやる気が出ない。

あの時は、突然福岡の母から電話がかかって来た。
「あんた…、ノブオがどこに居るか、知らん?」
「え?ノブオなら、つい一週間前にインドから手紙が来たよ。なんだか、お金がなくなっちゃって、大使館気付で送ってくれって言うから、送ったばっかり」
「インド……?」後ろに父が控えていて、母の報告を受けているみたいだ。
「そう……。あの子ね、半年前にナップザック一つ担いで、スリッパ履きで『ちょっと行ってくる』って出掛けたっきりよ。友達んとこ聞いて回っても誰も知らないから、まさかあんたが知ってる筈ないと思ってたよ。そう、インドに行っとった……。」
だいぶ泡食ったもよう。
「心配するし、説明するの面倒臭かったんじゃない?」

まあ、便りのないのは良い便りとは言うが、ちょっと極端ではある。
どうも私とこの弟は、常にこんな調子で親不幸の限りだが、ウチの親はかなり年がいっているので、何の目的もなく海外旅行に出るといったら、どんな騒ぎになるか知れたものではないだろう。お金送ってくれったって、やり方わかんなくてオタオタするだろうし。

この弟はその後、帰国するなり「姉貴、俺は人生変わった」と言ってやって来て、いろいろ写真など見ながら土産話に花が咲いた。
2年も居たのは、マラリアにかかってしまって動けなくなり、スリランカの農家で家族同様に生活していたのだそうだ。
弟以外にもこんな例を何人か見ているので、私の旅行などホントに邪道で恥ずかしい限りだが、まあぜんぜん行かないよりは、少しでも自分の眼で見たほうがいいだろうな。

インドの気と生き物

ガイドさんと
ガイドは長身の美青年
予定通り、デリーに到着。
だがそこからまた、半日も車に揺られて、延々と移動しなければならない。第一番に車の窓から見える景色に、何とも絶句。
人間と牛がほとんど共同生活をしているようで、ワケが分からない。そういえばこんな写真は本で見たし、弟が撮影したのを見た筈なのに、すっかり忘れていたのだ。
不意打ちを食って「あっ!なにアレ!」などと口走り、同行者にたしなめられてしまう。

しかしここは、インドでもゴールデントライアングルと呼ばれる場所で、生活ぶりは良い方らしい。特に珍しかったのは、国じゅう動物園みたいだったことだ。
クジャクやらクマやらリスやらが、私の乗った車の前を、平気でトコトコ横切ってゆく。

これでも、ここは高速道路だそうだ。道端では、牛がトップリ首まで泥水に使って気持ち良さそうに行水してる。高速道路も何のその、牛や羊の群れが当たり前のような顔して、堂々と道を横切って行く。長い。いつまで経っても終わらない。車は当然待っている。

車の運転は凄い。まさに曲芸だ。カーレースでもやってるみたいに、ピュンピュン抜きっこしてゆく。
しまいには乗っているこっちまで、「あ、3台ゴボウ抜き。次はあの白い車だ、それ行け!」と楽しみにする始末。私の車のドライバーは、どうも運転の達者さでは最高水準らしい。道行く車、ほとんど全部抜いちゃったから。

しかしこのレースをトラックでやると、また事情が違うみたいだ。神風トラックが、あちこちで正面衝突とか転覆したりしている。
だけどその割に、怪我人も死人もぜんぜん見かけない。みんな、引っくり返って積荷を撒き散らしたトラックの側で、のんびりくつろいでいる。衝突した同士が世間話などしているけど、何ともないのか?
何キロかごとに事故現場に出くわすのに、ぜんぜん血を見ない。それに、トラックは転覆しても、まったく動物は轢かないのね。そこでナルホドと思い当たる。

ヒンズー教は動物を殺さないし、牛を人間より大切にしているくらいなので、インドの国全体に比較的、殺生因縁が少ないのではないだろうか。
ジャイナ教なんて、蚊も蝿も殺してはならないくらいだから、生活ぶりはこんなでも(失礼)事故、怪我、変死の因縁が比較的少ないのではないか、と想像する。何とものんびりしたもんだ。
これはインドの「気=風」の特徴だろう。行ってから帰るまで、殺気というものが、ホントに少なかった。

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