蜂毒アナフィラキシー2

7~80年代の沖縄で

思うに、この沖縄風共通語だけでも、独立した方言というくらいのインパクトがあるような。
もうひとつ、のんびりした日常の反面、沖縄の人、中でも沖縄本島 の言葉はなぜか早口に感じるのは、ワシだけなのだろうか。

ちなみにこの時のトラクターは「白い8ナンバー」なので、畑間の道路上の移動運転には、大型特殊自動車免許が必要なのだが、雇い主の農家のおじさんは「気を付けて運転してくれ」と言うだけで、おおらかなものだった。30年近く昔の、「沖縄は離島」という感覚の時代の話だからね。
もっとも当時、宮古島の隣の伊良部島に行くともっとひどくて、ナンバープレートが無い車やバイクが多数乗り回されていたし、飲酒運転も多いと聞いた。

まあワシは大特免許は後に取得するのだが、この農家のおじさん、通称「根間のおじさん」には、いろいろ教えられた。
小柄で色黒、酒飲み、やや静かな性格、頭が良い、思慮深い、慎重かつ大胆って感じで、そのときは家庭を守るために、肉体的にきつい葉タバコ栽培もこなして懸命に働いてる。

宮古島にほぼ初めてフォードのトラクターをいち早く導入した人で、当時「こんな小さな島に大型機械は必要ない!」と近所から笑われたよとおっしゃっていたが、すぐに周囲もその機械力を認めて、すでにこの地では何台もアメリカ製トラクターが稼動していた。

ワシはこのおじさんから沢山のことを教わり、とても感謝しているし、またおじさんがすごく好きで、出来ることなら一緒に放浪旅行でもしたいくらいだったよ。その後、28歳のころと最近は94年と97年にお会いしたが、残念ながら数年前に他界されました。

沖縄で遭遇したこの小型蜂には、後日タバコの畑に入った時だったか、また刺される。
厄介なことにこのチビ蜂がサトウキビの葉の裏に巣を作り、砂糖キビ畑の手入れ作業の際、よく刺されるというのだ。
地元では常に蜂の巣に気を配りながら作業を行う。作業というのは収穫前の農閑期にキビ畑に潜りこみ、キビの下葉を予めもぎ取っておくのだ。こうしておくと冬季の収穫本番のとき、少しだが楽になるからだ。

島の人は蜂の巣に出くわすと大概「スミチオン」などの農薬を使用して退治するというが、中には瞬時に手で巣ごと握りつぶすという人もいた。かような恐ろしい荒技はワシには出来ないねー。

アナフィラキシー発症前で、蜂刺されを覚えているのはこのくらいだが、おそらくこのほかにも1~2回はあるだろう。
このような過程を経てワシの体は蜂毒に対して順調に過敏になり、ついにはアナフィラキシーに陥ったのだろう。

また、またまた、蜂に刺される

N県S島の、とある田舎に住んでいた30才くらいの頃。
A泊村の工事現場で測量をしているとき、不覚にもまた蜂に腕を刺されてしまった。作業を中止して体を動かさないようにし、10分位様子を見ていると、また全身にじんましん模様が現れる。赤斑が合体して赤黒くなり、段々大きくなり始めた。

医者にかからなければいけない。
A泊村診療所は実にひなびているので、隣町のO木町診療所の方がいいと聞き、隣町に車を走らせる。
昼の12時過ぎ、O木町診療所に到着。こちらも負けず劣らず、ひなびた田舎の診療所の風情がある。
大丈夫だろうか。待合室には誰ひとりいない。受付も無人なので呼び出す。

「あのー、蜂に刺されて、じんましん様のものが出来たんです。」看護婦兼受付のおばさん 「あー 先生に伝えます」
戻ってくると「少しお待ちください」と伝えると、何処かへ消えてしまう。

ワシはまた無人になった受付を見て、なにやら一抹の不安を感じる。しかしここは待つしかない。気分はフワフワ、体表面がヤラヤラする不快さをこらえて、今か今かと待つが一向に先生は現れない。
これはタイミング悪く食事の時間とかち合ったのだな。
…更に待つことしばらく。先生は来ない。

遅い!!昼寝でもしてるのだろうか。
イライラ、ジリジリと待つこと1時間を過ぎ、もう2時間にもなろうとする頃、やっとお年を召した先生が診察に現れる。
先生「はい、では診せてください。オヤッ、これは普通のアレルギーと違うな。どうしたね」
患者「蜂に刺されてこのようになりました」
先生「ばっ、ばかもん、それならそうと早く言わんか。ゆっくり飯など食っていなかったのに」
患者「えっ、…いや、あのー…」 
先生にはうまく伝わっていなかった。
それにやっぱり先生は昼寝をしていたのか…。
先生「注射をするので良く休んでから帰りなさい」

S島K町のダム工事現場で工事記録写真を写しているとき、またまた蜂に刺される。
即座に作業を中止してまっすぐ住居近くの内科医院に車を飛ばす。ものの10分くらいで到着。
総合病院の内科部長をしていて開業した先生だ。先生は最近太ってしまったらしく、自宅から医院まで歩くようになった。

「蜂に刺されました。過去に2度アナフラキシーの症状が出たので、今度も出ると思います」
先生「ほー、そうかね。では上着を脱いで診せてください。あーあーなるほど。これかなー、いくつか赤いプツプツがあるなー」
「では注射をするけど、胸のあたりに少し違和感を感じるかも知れん。1時間でも2時間でもソファーで休んで、落ち着いてから帰りなさい」

注射をして数分後、確かに胸の内臓奥深くから、クワーと暖かいものがこみ上がり、肩に抜ける感じを覚える。それに少しふらふらするようだ。

休んでいこう。美人看護婦さんが、何度も体調を聴きに来る。
余談だが、この美人看護婦さん、夜は近くの居酒屋「ちょぼや」の奥さんだ。後日ふいと酒飲みに行った時、はたと顔をあわせて判明した。ワシはこのとき、この店で三大珍味のひとつナマコの腸の塩漬け「このわた」を初めて食し、あまりの美味さに感動したものだ。

数年後…

それから数年後、休日に近くの山奥、草むらの中でスズムシソウやギンランを探していた時。
左足のふくらはぎにチクーンと痛みを覚え、とっさにそこを見るとズボンの上に小さな蜂がとまっている。
やばい!!蜂をバーンと手で払うと、ズボンをたくし上げてすぐに毒液を爪で絞り出す。それは我ながら実にすばやい反応で、2~3秒しかかからなかったように思う。しつこく何度も血を絞り出して様子を見る事にする。

この時はもう一人連れがいたので、いくぶんかは安心だ。しかし山中のことで、医者に行くのも時間がかかるし、なによりその日は休診日だ。処置が早かったからか、全身症状は発症せずに済んだ。

ワシはかような経過を経て、ハチ毒過敏反応を示す体に変化した。それなのに現在、現場の仕事でハチ問題に遭遇すると、ワシに相談されるのは、あまり嬉しくない。
ワシは知識だけ提供する、ハチ退治実行には係わらない、お前らでやれと宣言するのだが、結局やはり何かと係わってしまうのだ。

思えば10回近く刺されたことになる。
ワシはスズメバチなどの大型蜂に多量の毒液を注入されたら、高確率で死ぬだろう。
蜂退治のニュースや紹介記事にはおのずと敏感になっていった。
ワシのスクラップブックには蜂退治の方法がいくつか残っている。

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